昭和50(1975)年から40年間、私立中高で美術の教諭として、美術教育の教鞭を執り、全国で最優秀賞等を25年間多数受賞。
美大合格指導で40年連続で予備校に通わせずに現役合格させる結果を残しました。

その間、東京私学教育研究所にて10年間、都内の私立中高の美術教員対象の美術部門の研修副委員長として兼務しました。

日大芸術助手時代、昭和50年、駅の自動改札機、公衆電話のプッシュホン化を行ないました。絵画では新制作協会展に長年出品。

別に上野の森大賞展、水彩画協会展にも出品し、入選展示されました。

現在、東京町田市にてアトリエ主宰。